2011/01/18

対談:黒沢清(映画監督) × 板倉善之(「にくめ、ハレルヤ!」監督)

『にくめ、ハレルヤ!』東京公開中の上映後行われた
黒沢清監督と『にくめ、ハレルヤ!』監督、板倉善之の対談を掲載いたします。

2010年7月3日 場所:UPLINK X(東京・渋谷)

========================================


板倉善之(以下:板倉):よろしくお願いします。この映画は大阪市のCO2という映画祭で製作されまして、その時の審査員の1人として黒沢清監督にご覧頂いていて、つい先日もお送りしたDVDでご覧頂きました。


黒沢清監督(以下敬称略:黒沢):そうですね。まず、これって数年前作った時と、ちょっと変わってるんですか?


板倉:音楽をいくつか外しています。


黒沢:前見た時もそうだったんですが、今回見てより思ったのは、カメラが三脚に乗ってるだけで本当うれしいですよね。今、手持ちカメラとか、ろくでもないカメラが多いんですけど、こんなしっかり三脚に乗って、しかもスムーズに移動する、それだけで感銘を受けました。途中何回かビックリするようなカットがありますよね?それはカメラマンの力量もあるんでしょうが、ロケ場所も含めてものすごく計算されていて、最近本当にいなくなった昔のヨーロッパの巨匠、昔といってもまだ現役ですが、テオ・アンゲロプロスとかタル・ベーラとか、今本当に少なくなりつつあるヨーロッパの気高い感じがしました。それと、これも今回見てますます思えたんですが、大阪城が途中で映っていたり、あるいはまた間違いなく神戸が映っていて、阪神大震災が元になっているわけなんですが、印象としては本当に無国籍。もちろん関西弁を話している登場人物がいて、どう考えても関西で撮影されているんだろうということはわかるんですが。なぜでしょう、主人公の佇まいがそう思わせるのか、どこか本当にどこでもない場所、こんなローカルな物語をはっきりとそれとわかるように撮っているにも関わらず、時代とか場所を超越したような、幻想的というような言葉は当てはまらないんでしょうが、ある種、抽象的な世界まで踏み込んでいるという。それも、本当にこんなことが出来るのってヨーロッパの巨匠たちだけだよなっていう感じがあり、すごい映画だなと正直思いました。本当に、よく少ない予算の中でこんな映画をつくったなあと思いました。





板倉:名だたるヨーロッパの巨匠の名前をあげて頂いてとても恐縮してしまうんですが、まず一つ長回しということはすごい意識的に選んだ方法です。あと、今仰って頂いた言葉の中で僕がうれしかったという点というか、無国籍な感じ、大阪であり神戸であるんですが、それはどこか別の場所でもあるということ、それはとても意識したことでした。阪神大震災を扱うということで大阪・神戸をロケ地にするということは決定的なことだったんですが・・・。その上で意識した事で、まず移動のシーンがないんですよ。


黒沢:場所から場所へ移動するというストーリー上の?


板倉:そうです。大阪から神戸に移動してるっていう設定ではあるんですけど、そこで電車に乗って移動したとか、歩いていったとか、そういったシーンがないんですよ。


黒沢:ああ、その通りですね。僕は関西出身なので、「これ神戸だ」とかその瞬間はわかるんですが。確かに一度も移動のシーンがないですね。


板倉:一応、大阪・神戸という場所を移動してはいるんですが、僕としては主人公の2人は同じ場所をぐるぐる回っているだけという、そういった感じに仕上げようと思っていました。あと長回しということで言うと、デジタルの力の恩恵を受けていて。僕は16mmで撮ることから映画を撮り始めたんですが、そのフォーマットだと絶対にできなかったと思うんです。それがデジタルの力でやることが出来たという・・・。この映画祭自体がデジタルで撮るというのがある種の制約でもあったわけなんですが、それはフルに使ってやろうという思惑もありました。


黒沢:今や本当にデジタルカメラを使って、パソコンで編集して作ったものがほとんどですね。今日はスクリーンが少し小さめですが、結構大きなスクリーンで映写してみても、フィルムと遜色ないというか、下手なフィルムよりずっとクオリティが高いという状態になっています。もちろんそれは存分に使いこなしていて、デジタルがどうだとかフィルムがどうだとか、そういったものは超越した作品になっていると思います。でも、そうといいながら、明らかにフィルムが築いてきた映画文化の上で何か映像で表現しようとしているのかなという気はしましたね。例えば今カメラってとても小さいからひょいっと持てるんですが、この映画ではとてもドシンとしてますよね?昔のカメラってとても重いからそう簡単には振り回せないから、いやでもドンっと三脚の上に乗せて、動くといったら大変だったんです。だんだん軽くなって今はひょいっと持てますが、でもひょいひょいっとカメラを動かす感じはないですよね、この映画には。人が右に行ったからといってパッとカメラを振らずに、いかにも三脚に乗って、カメラが重いかのように動かしていますよね。あれは、意図的かどうかわかりませんが・・・。カメラマンは?


板倉:高木風太という大学時代の同級生がカメラマンでして、カメラを動かすスピードとかの指示は僕がしているんですが、「もう少しゆっくり」とか「もう少し早く」とか。でもやっぱりカメラマンの身体の感覚というか、そこまでは僕がコントロールできるわけがないので、まあカメラマンの資質というか、力だと思います。デジタルでも当たり前のように撮れる、画質的なことではそれなりのものは出来る、という所で僕らは始めているんですが、デジタルとかフィルムとか、そういった事とは別にして、この映画の脚本への指摘、批判がいくつかありました。


黒沢:映画を見て脚本がダメだ、という人がたまにいるんですが、僕はよくわかりません。何かつまんなかった、という事をどう表現しようかなという時につい「脚本がよくない」という言い方をしちゃうんでしょうけども。脚本がいいか悪いかってなぜわかるんでしょう?出来た映画が面白いかつまんないかはわかるんですけど、脚本がよくて映画がつまんないとか、脚本はダメだったけど映画は面白いとかいう判定って、どうやるんでしょう・・・。


板倉:受けた指摘としては、人物の背景が薄いとか。この映画は人物の行動ばかりをつなげている映画なんですが、例えば人を殴るという時に「なぜ殴ったか」という前提がないっていう話とか。例えばある映画があって、その映画を見たある脚本家の方は、その映画の登場人物の背景がわからなかったと仰っていました。ただ、物語が進行していくなかで、セリフとかで登場人物の背景は明らかに分かるようには作られているんですが、ある脚本家の方はあえて「わからなかった」と仰ったんですね。それって映画として「言葉で示すよりも具体的な映像で示せ」ということなのかなぁという気もしたんですね。


黒沢:面白い背景なら分かっていいと思いますし、つまんない背景なら分かんなくていいと思うんですよね。面白ければ「なるほど」と思うし。時々ありますね、延々過去が説明されたりして一つも面白くないっていう映画。例えば、誰かが殺人をしようとしている時に、ちょっと過去に戻って、実は殺そうとしている彼は幼少期に親に虐待されたという過去があった、なんて一つも面白くないですね。とりあえず殺せ、って思いますね(笑)その過去の説明のあいだは退屈でしょうがない。背景がよほど面白いか、もしくは後の展開に決定的な影響を及ぼす、というのなら分かりますが。僕は過去を説明しなきゃならないという時は、まあいろんなケースがあるとは思いますが、セリフでやった方がいいですね。思い切ってセリフで。ハリウッド映画は大体セリフでやりますね。そこはセリフとしての語り、聞かせ所。難しいんですけど。結構長いセリフをある俳優が話すと「ああ、そういう事があったのか」と、まあそれは俳優の演技も含めて、そっちの方がまだつきあえる。都合よく過去の映像とか見せるのは三流映画です。





板倉:ちょっとその辺は最近考えていることでもあるのでもう少し。例えば黒沢さんが映画を撮る時に、なんらかの職業、例えば刑事であるとか、昔離婚していてどうこうあるとかというのを、物語には直接関係ないけれども、そういったことを示す時に、例えば小道具を選ぶ時ですとか、そういった事まで影響してくるのかなぁと思うんですけれども、そういう裏設定みたいなものって考えられますか?


黒沢:なんにも考えないですね。自分でも「いいのかな?」っていうくらい何も。その時必要なものしか考えなくて、映画にあまり関係していないものは、意図的に考えないというよりはさっぱり分からない。もっと言うとどうでもいい。何でもいい。ただ、助監督とか俳優本人は裏設定を自分で考えてきて、あんまり僕が何も言わないもんだから、「こんな裏設定でいいですか?」「あ、いいですよ」っていうくらいで。どうでもいい、映んないならどうでもいいと思っている節がありますね。


板倉:例えば、この映画の中では影が薄いんですけど、主人公の友達というお金を渡したりする登場人物がいるんですが、あいつは生活にある程度余裕があって親の恩恵を受けている、というような設定があったんです。で、彼の車が最後の方で出てくるんですが、ボルボっていう割と高級な車。あれを選ぶ時に、軽トラックですとか普通のもっと家庭的な車とかいろんな選択肢がある中で、決め手になったのは登場人物像だったんです。


黒沢:そうやってボルボが選ばれる事になんの問題もないと思うんですが、ボルボを持っていれば皆金持ちとか、軽トラックだと貧しい、そんなことはないわけですね。軽トラック乗ってる金持ちもいくらでもいると思うんですね。だから、選ぶ時の根拠としてそういうのは全然構わないんですが、「彼は金持ちだ。故にボルボ」というようなことで決めていくと、実は現実にはあんまりいない、映画だけにしかいない、絵に描いたような金持ち、絵に描いたような貧乏人になっていっちゃいそうな恐怖があるんですよね。


板倉:それはありますね。一方的な目線というのはヤバイなという、そういった感覚はありますね。


黒沢:だから、あんまりデタラメというのはいけないなぁとは思いつつ、まあ車を選ばなきゃいけないというと何かを根拠に・・・。僕ね、僕の映画は商業映画ですけど、車を選ぶ時はわかりやすいんですよ。タダで貸してくれるもの。するとよく言われるんですよ。フランスのプジョーの車とか結構でてくるんですが、「どうしてフランスの車使うんですか?」とか聞かれるんですけど、フランス車は貸してくれるんですね。トヨタとか日産とかホンダとか、僕の映画には貸してくれません。僕の映画はフランスでも上映したりしますので、フランス車は宣伝になるといって貸してくれるんですね。それだけですね。


板倉:黒沢さん車お好きじゃないですか?


黒沢:車好きですね(笑)


板倉:黒沢さんの映画を見てて思っていました。選ばれている車はその趣向とはまた別なんですか?


黒沢:いや、あんまり自分の趣味どうこうは映画に反映させようとは思っていませんね。でも、色は絶対黄色にしてくれとかね、そういう感覚的に指定することはあります。一度だけ「黄色のホンダのシビックにしてくれ」とか「80何年型」とか指定したことはりますが、稀なケースです。あの話は変わりますが、「にくめ、ハレルヤ!」で一番聞きたいことなんですが、まあ散々聞かれたとは思うんですが、阪神大震災という大きな設定だとは思うんですが、今から15年前ですし、多分、大きな事件ではあったんですが、東京にいる人にはピンとはこない、ローカルなことだと思うんですが、これをアイデアの中心に据えたというのは?


板倉:ひとつは僕は当時大阪に住んでいたんですが、大阪って神戸にすごく近くて揺れもすごかったんですが、家が壊れたりですとか、そういうことってなかったんですね。当時のその経験をひきずっていたというのもありますけど、多分僕から神戸への距離と、東京から神戸への距離って多分あまり違わなくて。すごい個人的なことではあるんですけど、そこから10年たった当時につきあっていた恋人が震災をもろに経験していて、その彼女が語る事と、僕が体験したものとは全然違ったんですね。この違いって何だろうな、と感じた事が阪神大震災を題材に選んだ切っ掛けになりました。映画の中で大事にしようと思った事があるんですが、この映画の撮影は震災から10年後なんですが、その時は震災の面影なんて全くなかったんですね。1つの可能性として震災当時を再現してそこでドラマを作っていくという事もありえたかと思うんですけど、「10年後の今を撮ろう」と。それは大事な事でした。それはカメラワークにも影響したことだったんですけれども、無いものを探していくようなカメラというか。スタートはそういった所でした。


黒沢:あれは震災でどうこうなったというのか分からないんですが、ラストシーンで、原っぱの遠くの方にマンションが見えていて、あれすごい場所ですよね。地震で崩れた後、というわけではないんでしょうけど、まるで全てが灰になった後のような雰囲気のある場所でしたよね。あれはどこだったんですか?


板倉:あれは芦屋市の海側ですね。人工島です。当時はそこに家を作り始めていたんですけど、富裕層向けに結構いい家が出来始めていたんですけれど、駅から遠いし立地もわるいんで結局人が住み着かなくて、まっさらなゴーストタウンみたいな。


黒沢:東京に住んでる感覚でいうと、面白い場所だと思うんですよね。埋め立て地ですよね?埋め立て地があって、その外れにマンションがあって、その奥に山が見えているっていう、東京では絶対にありえない面白い場所でしたね。あの、これもよく聞かれたと思うんですが、主人公が音を録音していますよね。音を色々録音している人っていろんな映画に出てくると思うんですね。コッポラの「カンバセーション」とか、デ・パルマの「ミッドナイトクロス」とか、あるいは青山真治の「エリ・エリ・レマ・サバクタ二」。あと「シャウト」とか。思いつくだけどもこれくらいあるんですけど、この映画ではおりにつけ出てくる。録音技師というか音をサンプルしている人、これを主人公にしたというのは?


板倉:まずは音で、映像よりも先に音で人と出会いたいというか、そういった事をしたいなと思って。最初に女の子と出会う時も「サキ」という声、音として映画の中に登場する。そういうことをやりたくて、そこからの逆算でああいう設定になったっていうのはあります。震災の時のすごく印象的な事として、人を表す時って音だったんですよ。震災の時に一番最初に動き出したメディアってラジオだったんですが、そこで「誰々さんが生きています」とか、人の名前だけが情報として流れていたとう、そこでは人の存在を表すのは音でしかなかった。そういう体験も影響しています。


黒沢:彼のマイクを構える立ち姿というのはいいですよね。ピストルを構えているのとは少し違うんですけど。ほとんど無口でかなり内気でナイーブに見える彼も、マイクを構えると攻撃的なポーズだなと感心しました。


板倉:僕の周りにああいうことを実際にやってる人がいて、僕は音楽が出来ないんですが、その姿に憧れもあったりとか。映画の現場でマイクマンとかかっこいいんですよね。


黒沢:あの俳優の方もいいですよね。ちょっと玉木宏みたいな(笑)大阪の方なんですね?


板倉:当時たまたま大阪に住んでたんですけど、東京から関西の大学に交換留学で来ていた短い間にたまたま出会えた方でした。


黒沢:俳優ではないんですか?


板倉:友達の自主制作とかには出ていたらしんですけど、職業としてやっていた方ではないですね。最初出会った時は「こんな二枚目でいいのかな?」とか思いましたけど、結果的に彼でよかったなと。


黒沢:あと少女も本当にすばらしい。あと、これは本当に皆さん分かった方がいたのかどうか、絵沢萠子さん。僕の世代なんかでいうと、ホントに懐かしい日活の女優さん。おばあさん役ですね。ちょっと痴呆症の役といいますか。絵沢さんは大阪にいらっしゃるという事ですか?


板倉:そうですね。


黒沢:今も結構でてるんですか?


板倉:最近だと僕が知ってるのは木村威夫監督の「黄金花」という、木村監督の遺作になってしまいましたけれども。出演されていましたね。


黒沢:とっても懐かしくてビックリしました。どうしてと言うとあれですが、板倉さん自身あまり知らなかったんじゃないですか?


板倉:いえいえ、もちろん神代辰巳監督の映画の中で絵沢さんは見ていましたし。やっぱりああいう年配の方を大阪でキャスティングするのはすごく難しくて、プロダクションとかに行ってもまずいない。で、CO2の事務局に相談したところ「絵沢萠子さん大阪にすんでるよ」という事で「是非」という感じで。


黒沢:関西圏で映画を撮るっていうことは、東京とは違う何かってあるんですか?


板倉:そうですね・・・東京と比べてというのはあまりわからないんですが、ロケしててもやさしいというのはあるかもしれません(笑)この映画で難波駅の前で撮影しているシーンがあって、そこは人通りがすごい多いところなんです。


黒沢:あのテッシュ渡したりしているシーンですか?


板倉:あのシーンって許可とってなくて、怒られる覚悟でやっていたんですけど、通りがかりのおっちゃんから「お、頑張ってんな」と励まされたり(笑)


黒沢:言葉はあまり気にする必要ないんですかね?つまり、関西の方が普通に話すと関西弁ですよね。無国籍を狙おうとしても言葉でやはり大阪ローカルっていうのがバレてしまうんじゃないかとか、そういう危惧はないですか?


板倉:関西弁って地方の方言の中でも、割と馴染んでもらえてる言葉かなぁと思いますし、この映画の中で意識的に関西弁を話してもらっている方もいるんですが、僕としてはあまり関西弁に対してあまり意識していませんでした。


黒沢:標準語ってあくまで一つの標準であって、映画やテレビの中で基本はそれでやっていますよね。で、そうじゃない場合、あるローカル性をだすとその土地の言葉。東京でも下町を舞台にすると江戸弁が出てきたり。関西弁が出てきて「あ、関西弁だ」って思うんですけど、それが逆に不思議でしたね。ある無国籍な、あのすごいカメラ、あのすごい演出の中で、いきなり関西弁が出てきて「あ、大阪の人だ」って思うのはあまり見た事がない(笑)映像だけ見ているとある種の抽象性の中に連れて行かれるんですけど、関西弁を聞くと「あ、これ大阪だ」とふと気付くという・・・


板倉:そこまで関西弁を意識していませんでしたね正直・・・





黒沢:普段はどんな映画がお好きなんですか?


板倉:好んで見るのは犯罪が絡むような映画が好きで、例えばフィルムノワールって呼ばれているような映画。古いもので言うと「暗黒街の顔役」とか。鉄砲が出てくるとか、アクションが出てくるものが好きです。映画撮り始めた頃はアクション映画が撮りたいなぁと思いながらも中々難しいよなとも思いつつ、いつか撮りたいなと思っています。


黒沢:「にくめ、ハレルヤ!」でも、派手ではないんですけど、要所要所でありますよね。一番強烈だと思ったのは、最後主人公が車にバンッとぶつかりますよね。軽くではあるんですけど、本当にこれ、長回しというのもあるんですけど、「あ、やばい本当にぶつかったよ」という感じがするくらいで。ああいう突発的な暴力シーンは相当意識して気合い入れて撮っているなと。


板倉:そうですね。ああいうのは妙にこだわりがありますね。カット割りもそうなんですけど、割ったらなんでも出来ちゃうというのがあって。例えば殴るシーンとか撮る時にカットを割りたくなかったり。


黒沢:なんかこう何でもない所に突発的に起こる暴力が撮りたいとか?


板倉:そうですね、普段の何気ない所と地続きで何かを起こしたいなと。


黒沢:今後商業映画の世界でもやりたいなというのはあるんですか?


板倉:そうですね。プロダクションに企画書を持っていったりとか、あと海外ではいろいろ助成金があったりするのでそういうものにアクセスしてみるですとか、そういった事もやっていきたいなと思っています。ただ意識としては、ここからが商業だというのはあまり見えてなくて。


黒沢:それは僕もよく見えていませんが、もし商業映画をやるとしたこんな事をやりたいとかありますか?


板倉:さっきもちょっと言ったんですが、アクションは本当にやってみたいです。


黒沢:でもほら、アメリカとかならあれなんですが、日本でどうするんですか?「アウトレイジ」みたいなことですか?いや日本映画でアクション映画ってないんですよ本当。


板倉:本当にそうですね。鉄砲を出す事でも本当に大変かなぁと。


黒沢:高校生の不良のケンカとかだったら、まぁ「クローズゼロ」とか(笑)でもフィルムノワールのような拳銃が出てきて、刑事が出てきて、犯人が出てきてとなると、よほど何か人気の原作があるとか、漫画原作があるとかならいいんですけど、とっても難しいと思います日本では。


板倉:鉄砲だしたいなぁと思って考えてると、設定とかが刑事とかヤクザになってきちゃうんですよね。


黒沢:でも出しちゃえばいいじゃないですか。今鉄砲っていっぱい出回っているみたいですよ。本物を見た事はないですけど(笑)これ見よがしに出すと、説明すればするほど嘘くさくなりますね。当たり前のように出してバンバンとやっちゃえばいいと思いますね。


板倉:ありがとうございます(笑)
そろそろ時間がきてしまったようなんですが、今日はどうもありがとうございました。


黒沢:ありがとうございました。

========================================

黒沢清(映画監督/東京藝術大学大学院 教授)
1955年兵庫県生まれ。立教大学在学中より8mm映画を撮り始め、長谷川和彦、相米慎二に師事したのち、83年『神田川淫乱戦争』で商業映画デビュー。以後、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(85)『地獄の警備員』(92)『復讐 THE REVENGE』シ リーズ(96)等を監督し、97年の『CURE』は世界各地の映画祭で上映された。その後も『ニンゲン合格』(98)『カリスマ』(99)『回路』(00/カンヌ国際映画祭批評家連盟賞受賞)『アカルイミライ』(02/カンヌ国際映画祭コンペティション正式出品)『ドッペルゲンガー』(03)『LOFT』(05)『叫』(06)『トウキョウソナタ』(08/カンヌ国際映画祭ある視点部門審査員賞受賞)など連続して作品を発表し続けている。

========================================

2011/01/08

藤井仁子さん(批評家)がコメントをご寄稿下さいました。

  
   
トラウマ的な経験を扱う凡百の映画が「逃げずに辛い過去と向きあおう、私たちが手助け してあげるから」と猫なで声で呼びかけるのに対し、板倉善之の『にくめ、ハレルヤ!』 はそのような善意の押し売りをこそ撃つ。生き残った者の苦しみは、過去をうまく思い出 せないことなどではなく、真実かどうかさえ定かではない過去の記憶によって現在が勝手 に侵食されていくことにあるからだ。そのような侵食を受けて震災後の神戸や大阪の妙に 整然としてよそよそしい風景が、たとえば社会的弱者を強制排除してまで建造されたフェ スティバルゲートの今は廃墟と化した無人の風景が、死者たちの声にならない無念の叫び を不穏に響かせはじめる。 暦の上ではとうに過ぎ去ったはずの20世紀にひたすら拘泥する『にくめ、ハレルヤ!』 は、ただの暦を真に受けて「ゼロ年代」などと浮かれ騒ぐ日本映画の不甲斐ない現在に突 きつけられた匕首である。むろん、真の新しさは『にくめ、ハレルヤ!』の側にあるの だ。

藤井仁子(批評家)


藤井 仁子 Jinshi FUJII
1973年生まれ。早稲田大学文学学術院専任講師(映画学)。共著書(分担執筆)に蓮實重彦・山根貞男編『成瀬巳喜男の世界へ』(筑摩書房)、長谷正人・中村秀之編『映画の政治学』(青弓社)、岩本憲児編『日本映画とナショナリズム 1931-1945』『映画と「大東亜共栄圏」』、斉藤綾子編『映画と身体/性』(いずれも森話社)、『クリエイターズ・ファイル スピルバーグ 宇宙(ファンタジー)と戦争(リアル)の間(はざま)』(竹書房)、『光と影の映画史 撮影監督・宮川一夫の世界』(キネマ旬報社)、樺山紘一編『新・社会人の基礎知識101』(新書館)などが、共訳書に『わたしは邪魔された——ニコラス・レイ映画講義録』(みすず書房)、京都映画祭実行委員会編『時代劇映画とはなにか』(人文書院)、J・サリヴァン編『幻想文学大事典』(国書刊行会)などがある。その他、共同で大学用英語教材Christopher Kenworthy『The Amazing History of Cinema: From Edison to Spielberg(楽しい映画文化史)』(成美堂)の作成に携わる。第3回京都映画文化賞受賞論文「日本文化映画批判」(第3回京都映画祭公式サイトで一部公開)を、大幅増補のうえ、日本経済評論社より2007年刊行予定。


Theatre Oblique(テアトル・オブリーク)