2011/01/08

藤井仁子さん(批評家)がコメントをご寄稿下さいました。

  
   
トラウマ的な経験を扱う凡百の映画が「逃げずに辛い過去と向きあおう、私たちが手助け してあげるから」と猫なで声で呼びかけるのに対し、板倉善之の『にくめ、ハレルヤ!』 はそのような善意の押し売りをこそ撃つ。生き残った者の苦しみは、過去をうまく思い出 せないことなどではなく、真実かどうかさえ定かではない過去の記憶によって現在が勝手 に侵食されていくことにあるからだ。そのような侵食を受けて震災後の神戸や大阪の妙に 整然としてよそよそしい風景が、たとえば社会的弱者を強制排除してまで建造されたフェ スティバルゲートの今は廃墟と化した無人の風景が、死者たちの声にならない無念の叫び を不穏に響かせはじめる。 暦の上ではとうに過ぎ去ったはずの20世紀にひたすら拘泥する『にくめ、ハレルヤ!』 は、ただの暦を真に受けて「ゼロ年代」などと浮かれ騒ぐ日本映画の不甲斐ない現在に突 きつけられた匕首である。むろん、真の新しさは『にくめ、ハレルヤ!』の側にあるの だ。

藤井仁子(批評家)


藤井 仁子 Jinshi FUJII
1973年生まれ。早稲田大学文学学術院専任講師(映画学)。共著書(分担執筆)に蓮實重彦・山根貞男編『成瀬巳喜男の世界へ』(筑摩書房)、長谷正人・中村秀之編『映画の政治学』(青弓社)、岩本憲児編『日本映画とナショナリズム 1931-1945』『映画と「大東亜共栄圏」』、斉藤綾子編『映画と身体/性』(いずれも森話社)、『クリエイターズ・ファイル スピルバーグ 宇宙(ファンタジー)と戦争(リアル)の間(はざま)』(竹書房)、『光と影の映画史 撮影監督・宮川一夫の世界』(キネマ旬報社)、樺山紘一編『新・社会人の基礎知識101』(新書館)などが、共訳書に『わたしは邪魔された——ニコラス・レイ映画講義録』(みすず書房)、京都映画祭実行委員会編『時代劇映画とはなにか』(人文書院)、J・サリヴァン編『幻想文学大事典』(国書刊行会)などがある。その他、共同で大学用英語教材Christopher Kenworthy『The Amazing History of Cinema: From Edison to Spielberg(楽しい映画文化史)』(成美堂)の作成に携わる。第3回京都映画文化賞受賞論文「日本文化映画批判」(第3回京都映画祭公式サイトで一部公開)を、大幅増補のうえ、日本経済評論社より2007年刊行予定。


Theatre Oblique(テアトル・オブリーク)



 

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