Chongqing Independent Film and Video Festival(造影青春;重慶民間映画交流展 11/14〜20)で『にくめ、ハレルヤ!』が特別上映プログラムで上映されたので、11月19日〜21日まで重慶に行ってきた。
11/19
関空から飛行機に乗って北京まで2時間半。重慶行きに乗り換えてさらに2時間半。
北京から重慶の間は延々と山が連なっている。第二次世界大戦時には政府を重慶に移し、その山々は日本軍の攻撃に対して鉄壁の防御壁となったとのこと。そのことからか重慶は「山の城」とも呼ばれている。
朝一の飛行機に乗って重慶国際空港についた時には、すでに日が暮れかけていた。急遽映画祭への参加を決めたためアテンドが来てくれるのかも定かじゃなかったが、ゲートをでるとベッキーに似た可愛らしい女の子(SYUさん)がプラカードを持って迎えてくれた。しかも日本語ができる。初めての中国の内陸部行きで多少不安だったが彼女のおかげで一気に安心できた。
空港を出て車で移動。ジャ・ジャンクーの「一瞬の夢」(舞台は重慶ではないが)に映るような街中に巨大なビルが建設されている様子は立ちこめた霧で輪郭がぼやけている。SYUさんに聞くと、重慶は年間の40%は霧が出るらしく「霧の街」とも呼ばれているとのこと。霧で視界が悪いのに運転は皆かなり荒っぽい。信号もあまりないので車がびゅんびゅん行き交う道路をふらっと人が横断する。
「事故るんじゃないか」とヒヤヒヤしながら一時間ほど走り「磁器口」という町につく。「磁器口」は古くからの町並みを残していて、中国からも観光客が多く訪れている様子。嘉陵江という川のほとりにあるユースホステル(のような宿)にチェックインを済ませ、拙作の上映時間が迫っていたのですぐさま会場である重慶大学に。簡単な食事(かなり辛い)をすませ、上映後のティーチインに登壇。かなり慌ただしくここまで来たので気持ちの整理も何もなかったが、お客さんからは積極的な質問がいくつもあがり、それに答えているうちに徐々に拙作がここで上映された実感が湧く。
この日は、翌日に控えたクロージングイベント準備の為に映画祭スタッフも忙しいらしく、飲みはなし。宿に帰り、一階のカフェバーで一息。酒は飲めないが地元ビールを注文。香港でもそうだったが、なぜか中国のビールだけは苦なく飲める。
11/20
7時くらいに起きて「磁器口」を散歩。野良犬が多い。コーヒーが飲みたく喫茶店にいくが、店員は英語がさっぱりわからないらしく私も中国語でコーヒーを何と言うのかわからず、メニュー表の多分コーヒーだろうというものを指差し注文するが、出てきたのはキンキンに冷えたマンゴージュースだった。
宿に戻るとロビーでこの映画祭の主催の1人である、映画監督の応亮(Ying liang/イン・リャン)がいて挨拶をかわす。イン・リャンは日本でも「あひるを背負った少年」「アザーハーフ」がフィルメックスで上映・受賞している中国の監督。
イン・リャン監督らとシンポジウムに参加するため会場へ。皆並んで壇上で話すというのではなく、1人づつ壇上にあがり話していくというスタイルに少し戸惑ったけれど、中国のインディペンデント映画の様相を少しでも知れてよかった。シンポジウムの後は中国政府から上映を禁止されているある映画のシークレット上映(念のため作品タイトルは伏せておく)。
上映後、皆で昼食(やはり辛い)。クロージングイベントの会場へ。クロージングイベントといっても、他の映画祭のように堅苦しいものではなく、お客さんともフランクで進行もザクッとしてて、個人的にはこういった感じのほうが馴染みやすかった。
アテンドのSYUさんは予定があったらしくここで別れる。謝謝!!
イベントの後、お客さんも交えて皆で食事。「火鍋」という日本でも食べれる料理だが圧倒的に辛い。滞在中、一番辛い料理だった。
ヒリヒリする口を地元ビールで慰めながら談笑していると、お客さんの1人である20才くらいの女の子から「(日本人は中国人を嫌っていますか?)」と不意に質問を受ける。「(嫌っていない。少なくとも私は。)」と答えると、続けて「(日本と中国は今、政府間の関係がうまくいっていませんが、今後私たちはどのような関係を築いていけばいいのでしょう?)」と聞かれる。お互い英語がたどたどしいながらも何とか筆談も交えながら答えようとするが、たとえ日本語であったとしてもこの質問に充分に答えれる言葉を持っていなかった。
結局、「(私とあなたがここで友達になることから始めましょう)」と何ともフワッとしたことしか言えなかった。周りにいた男の子たちからは、それを口説き文句と思ったのかちゃかされてしまう。
それに恥ずかしくなって、今度は重慶での反日デモについて聞くが、彼らはデモがあったという事は何となく知っているが、一体誰がやっているのかさっぱり知らず、大学でもデモへの参加禁止を呼びかけられていたとのこと。毛沢東や文化大革命についてもどう思っているか聞いてみると、話していた人達はどちらに対しても嫌悪感のようなものを持っていた。町中では時々毛沢東のポスターを見かけることもあるが、それはあくまで海外からの観光客に向けたもので、土産物屋に並ぶ毛語録、毛沢東バッチやポスターも同じく観光客に向けたもので、店の主人にしたら数あるうちの一つの「商品」でしかない。
場所を宿のカフェバーに移す。DJがいて2人組が中国語でラップを始める。皆、楽しそうに踊る。それにはどうも乗り切れず、少し離れて数人とビリヤードをする。重慶ではビリヤードが流行っているのか皆うまく、私から「(飲み物をかけよう)」と持ちかけたものの全敗。皆に酒をおごる羽目になる。悔しいので練習していると、SYUさんの変わりにアテンドをしてくれることになったNI-ZIさん(日本語はできないがこれまた可愛らしい女の子)が丁寧に教えてくれ、ホウ・シャオシェンの「百年恋歌」の1話目のようだ、と1人ごちる。
夜も大分更けて、というか朝方になって部屋に戻る。疲れているのに寝付けず、中国語のテレビを眺めながら布団に入る。
11/21
映画祭も終わり、この日はまる1日観光。NI-ZIさんと冬梅さん(Fon-maei)というスタッフの方が案内してくれることに。あまり開発されていないところが見たかったので、タクシーと電車を乗り継いで移動(街の名前は失念)。確かに古い町並みが残っているが、ほとんどの建物の壁にはもうすぐ取り壊される徴として「折」という字が書かれている。多分、数ヶ月後にはこの町並みはなくなる。
続いて長江を横断するロープウェイにのる。やはり霧が濃く水墨画のようだった。
町中をブラブラしながら、露店などで売られるDVDなどを物色。いい店はあるかと尋ねると、タクシーに乗って海賊版DVDの店へ案内してくれた。中国では海賊版DVDで世界中の映画が見れると聞いていたとおり、かなり充実した品揃え。
NI-ZIさんとはここで別れる。謝謝!!
夜は焼き肉を食べ、宿のカフェバーへ。
重慶最後の夜がもったいないく、冬梅さんとあれこれ話し夜更けまで。
11/22
朝一の飛行機にのるため空港へ。送ってくれた冬梅さんと別れ、重慶を発つ。
今回はスケジュール的に参加を諦めていたが、無理してでも行ってホントよかった。
中国の監督たちは、当然のように国境を越えて映画をつくっている。日本に引きこもっている場合じゃないなと改めて思わされた。
文、写真:板倉善之
※動画ばかり撮っていて写真をあまり掲載できなかったので、後日またその動画をアップします。
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今回、上映した「にくめ、ハレルヤ!」ですが、日本での公開・上映が色々と決まっています。
年末には
名古屋シネマテーク(名古屋)
12月23日◯19:00〜 24日◯14:20〜「第24回自主製作フェスティバル」にて
ちば映画祭(千葉)12月26日◯13:00〜
年明けには
シネ・ヌーヴォX(大阪)1月15日〜 ロードショー
神戸アートヴィレッジセンター(神戸)1月15日〜 ロードショー
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